「それでは基本的な案はそういうことでっと。実行可能な日といいますと……」

 ポケットから取り出した手帳をのぞきつつ百子は求める情報を探す。

 「おお、今週末にちょうどありますね〜。これはラッキーです。」

 「前回は参加できなかったから、私は今回は積極的にかかわりたいわ〜」

 教壇に立つ百子の横で教室を見渡すように座っていた影からそんな声が発せられる。

 「にひひ、こちらとしても総帥には是非頼みたいことがあるのです。ちょっとお耳を拝借」

 …………

 「なるほど〜、小山内さんもまさか私もグルだとは思わないわよね〜。それは名案だわ。」

 「というわけで、衣装を着せるのはあたしと総帥でやるので、みんなは前回と同じくカ

メラをたっぷり用意してください。フラッシュは絶対必須! 出来ればシャッター音も出

すこと!あと一般の部員が間違ってこないように偽の連絡をばら撒くので、うまく話をあ

わせてください。では、解散!」



 「それじゃ、おじいちゃん、夏姉さん、ナミ、行ってくるわね。」

 玄関で靴を履き終えた私は、入り口までわざわざ見送りに来てくれた家族に出かけの挨

拶を送る。普段であれば竹刀等の部活用具も担いで行くのだけれども、今日は月に一度の

道場の大掃除の日なので、いつもに比べれば身軽である。

 「梢子ちゃん気をつけて行ってきてください。」

 ナミがいかにも不安そうな声で言うので、

 「大丈夫よ、ただ学校に行くだけなんだから。」

 と、軽く返したのだけれど、それが大きな間違いであったことを私は思い知らされるこ

とになる。

 「でも、この間みたいに熱を出して帰ってきたりする梢子ちゃんを見ると心配です。」

 「だ、大丈夫よ〜。この間のも一晩で治ったじゃない。」

 「でも、いまもちょっと顔が赤いですし、本当に大丈夫ですか?」

 いや、これは、その恥ずかしい記憶がリフレインしてしまっただけなんだけれども。

 「ほんと、梢ちゃん熱あるんじゃないかしら?休まなくてよいの?」

 「やだなー、なっちゃんまで。平気よ、全然。それに部長の私が行かなかったら示しが

付かないじゃない。」

 何かあると悟られないように、つとめて平静をよそおって見るのだけれど、……たぶん

大丈夫だろう。

 「なーに、こいつは丈夫なのがとりえなんだからな。まあ、帰ってきたら適当なツボを

押してやるよ。」

 「ほんと、おじいちゃん? じゃあお願いするわね。じゃあ電車の時間もあるからそろ

そろ行ってきます。」

 祖父が出してくれた助け舟に乗って、話題を打ち切ると、急いでいる振りをして私は家

を出た。

 ふと時計を見ると、結構ギリギリだったりする。私は多少小走りになりながら、駅へ向

かって歩き出した。


 休日の学校とはいえ、部活動も盛んなここ青城女学院は元気に各々の練習に精を出す生

徒達のおかげで活気にみちている。

 グラウンドを駆け回る色とりどりのユニフォームを眺めていると、自分達も負けずに頑

張ろうという気分になってくる。……まあ、今日は掃除なのだけれども。

 そんなことを考えながら剣道場の方にむかって歩いてきたのだが、私は予定より早めに

来たはずなのになかで多くの人が動く気配がする。……うちの部員っていつもこんなに熱

心だったかしら。まあ、やる気のあるのはいいことさ、などと先代部長が言っていたのを

思い出し、頑張っている部員のやる気を殺がないよう覇気のある挨拶をしようと扉を空け

たところで、

 「お待たせしましたー! 不肖秋田百子、水を汲んでまいりましたー!」

 という無駄に元気な声とともに、小柄な体が後ろから勢い良くぶつかってきた。

 バシャーンという派手な音とともに、頭の上から水が降り注いでくる。一瞬後には私は

ずぶぬれになっていた。……荷物もろとも。

 「も〜も〜こ〜」

 私は精一杯低く重い声で呪うように犯人の名前を唱える。

 その声に、すくんだわけでもなかろうが、いつも以上に小さくなった百子が、

 「ご、ごめんなさ〜い。えと、その急いでいて前が見えなかったというか、その……」

 「もー、着替えまでぬれちゃったじゃないの、どうしてくれるのよ、まったく。」

 と、百子を責めてはみるものの、ほんとどうしたものか。

 「あらあら、騒がしいと思ったら、どーしたの小山内さん。」

 そこへ、扉から顔をのぞかせた葵花子先生ははたして救いの神となるのかどうか。

 「どうしたもこうしたも、見ての通りです先生。このままだと風邪を引きそうなのでタ

オルとあと何か着替えるものが欲しいのですが。」

 「そーねえ。……ちょっとまってて小山内さん。職員室の方から何か取ってくるから。」

 「お願いします。それじゃあ百子、先生が戻る間にたっぷりと反省の弁を聞かせてもら

いましょうか。」

 とりあえず何とかなりそうなので、私は粗相をした部員を説教しにかかった。



 ぺこぺこと平謝りに謝る百子を眺めながら、素直に謝ってるし可愛い後輩だしこの辺で

許してやるかという仏の自分と、いやさすがに今回は厳しく指導しないと本人のためにも

ならないぞという鬼の自分との対話を心の中でしているうちに、ぱたぱたと走りながらな

にやらタオルと着替えらしきものを抱えた先生が戻ってきてくれたので、とりあえず百子

をしかるのはそこまでにした。

 「はい、小山内さん、私のロッカーにあったものだけど、とりあえずこれで我慢してく

れないかしら。」

 そういって差し出されたのは……紛れもなく男物のワイシャツだった。

 「先生。なんですかこれは?」

 こんなときに冗談はやめて欲しい。多少ボケたとこのある先生だとは思ってたけどこれ

はない。どこの世界に生徒にワイシャツ一枚だけ着せようとする教師がいるのだろうか。

 「あら、小山内さん、見ての通りワイシャツよ。スーツもあるのだけれど、それで掃除

はさすがに無理でしょう?」

 私の険悪な視線にもかかわらず、気にした風もなく平然と葵先生は言い返してくる。そ

れどころかいたずらっぽく目を細めて見せた。

 その表情に一気に寒いものが背中を走る。不安になって周りを見渡すと、先生どころか

作業中の部員達、さっきまでしかられていた百子までなにやらニヤニヤとこちらを眺めて

いるではないか。そういえば、部員の数が少ない。全員参加の大掃除のはずなのに、見た

ところ半分くらいしかいない。というか、この部員の構成には見覚えが……ああ、そうい

うことか。私はまんまと罠にはまったらしい。まさか先生まで百子たちとグルだったなん

て……。

 しかし、罠ならばそれごと踏み砕いてやる。そう、私は自分に発破を掛けると、周りの

人間に挑戦するように不敵な表情を意識して浮かべながら、

 「ありがとうございます先生。早速着替えてきます。」

 と手早くワイシャツとタオルを引ったくり、更衣室へと向かった。



 「ふう、とりあえず第一段階は成功といったところかしら?」

 葵花子はそう言うと自分の配下たちを見渡した。

 「さすがですね総帥。オサ先輩の負けん気を掻き立てる見事な演技でした。」

 「いえいえ〜。秋田さんも上手だったわよ。着替えまでしっかりダメにするなんてさす

がじゃない。」

 「まあそこらへんは言いだしっぺですからね。さて皆さんここからが本番ですよ。オサ

先輩をしっかり悦ばせてあげましょう!」

 百子の掛け声に、オー!と更衣室にいる梢子に聞こえない程度のささやかな鬨があがっ

た。



 「着替え終わったわよ。それで綾代、掃除はどこまで進んでるのかしら?」

 更衣室から出てきた私は、動揺を悟られないようにいかにも何事もないかのように振舞

った。内心の方はというと、実は心細さと恥ずかしさとで全然普通ではないのだけれど、

それを表に出したら負けだ。

 しかし、ミニのワンピースとそうは変わらない格好のはずなのにこの心もとなさはなん

なのだろう、やはり上下あるはずの衣装の上だけということが心理に作用してるのかもし

れない。やっぱり多少気持ち悪くてもいいから下着は穿いておくべきだったかも。

 「梢子さん、良く似合ってますよ。かわいいです。掃除の方ですが、私たちもこれから

始めるところだったので、まだほとんど手をつけてない状態です。"いつもどおり"指示を

お願いしますね。」

 しらじらい答えだこと。でもかわいいといわれた瞬間ドキッとしてしまった。それがま

た悔しい。嘆いてもはじまらないので、ともかく指示を出すことにする。

 「じゃあ百子は水の汲みなおし、あなた達は床の拭き掃除を。そっちのあなた達は棚と

かの埃のたまってそうなところを掃除して。あなた達は練習用具を綺麗にしてちょうだい、

私もそれを手伝うわ。」

 「「はーい」」

 綺麗にそろった返事が返ってくる。思わず自分が罠にはめられたなどと考えたことが間

違いだったよう案錯覚におちいる。でも私がみんなの前で恥ずかしい格好で立たされてい

るのは紛れもない事実なのだ。ああ、なんだか体のあちこちがチリチリする。



 私の指示を受けた部員達がそれぞれに仕事を始めたのを確かめてから、私は剣道場の隅

にある竹刀の入ったかごの傍に行き、その中から締めなおしたほうがよさそうなものを何

本か取り出すと、全員の作業が見渡せて、かつ邪魔にならないように道場の奥の床の間の

前に座り込んだ。

 その瞬間、いっせいに視線が集中するのを感じる。そうか、全員が見渡せるということ

は、私も皆から見られることに他ならない。無意識にやってしまったことだがいまさら逃

げるような態度はとりたくない。しかも悪いことにいつもの調子で胡坐をかいてしまって

いた。これではまるで露出狂ではないか。自分のその考えに一気に血が頭に上ってくる。

いけない、ほかの事を考えないと。そうおもって作業に集中しようとしたとたん。視界の

端で閃光がはじける。同時にカシャリといういかにもな音。分かっていたこととはいえ、

突然の刺激に体は反応してしまう。ビクンとなったように感じたけれども、実際には動い

てないことを願うばかりだ。

 手元に視線を落として、作業に集中しようとするのだけれど、たびたび撮影の光や音が

するたびに、私の思いとは裏腹に、心に電撃がはしり、体は痙攣したように緊張が走る。

体温がそのたびに急上昇して、心臓は大きくはねる。認めたくはないけれどお腹の下の

方がキュっとなるのが分かってしまう。どうして?恥ずかしいのに、つらいのに、私は快

感を得てしまうのだろうか。



 「梢子さん、……梢子さん。」

 耳に入ってきた綾代の声に、薄れていた意識がもどってくる。

 「ん、どうしたの、綾代?」

 いけない、私おぼれかけていた。

 「梢子さんの後ろにある額なんですけど、私たちじゃちょっと届きませんよね?」

 「ああ、そうね、どうしようかしら。」

 「肩車でもすれば届くかなと思うんですけど、梢子さん手伝っていただけますか?」

 「いいわよ。」

 綾代の意外にまともな提案にすぐに同意する。

 「じゃあ、失礼して。」

 てっきり私が担ぐのだと思っていたら、綾代に首を差し込まれ、持ち上げられてしまう。

綾代は姫なんてあだ名が付いてはいるものの日々剣道部で鍛錬しているのだ、見た目より

力はある。

 「ちょ、ちょっと綾代! 頭が入ってるったら!」

 あろうことか、綾代のあたまは私のシャツのすそから中に入ってきていた。私はシャツ

以外になにも身に着けていないから、つまりはそういうことになるわけで。

 「あら、どうしました、梢子さん? 私も長くはつらいので早くお願いします。うふふ。」

 どうやら、やり直してはくれないらしい。やっぱりまともな提案じゃなかったわけだ。

 とにかく額をいったんはずそうと、手を伸ばす。

 「ひゃあ!」

 そうしようとした瞬間綾代が頭を動かしたせいで、私のふとももやあそこはつややかな

黒髪にこすられて、おもわず声が出てしまった。

 「あら、すみません梢子さん。でも気にしないでくださいね。」

 そういいつつも、綾代は私を微妙に刺激することをやめようとはしない。足首をしっか

りと掴まれて逃げ場のない私は、経験したことのない感触に翻弄されてしまう。

 「あっ、ちょ、んっ、と、ひゃん、やめ、あん、な、さい、よ」

 「うふふ、あらあら、うふふ。」

 この間も、絶え間なくフラッシュが炊かれ、シャッター音が鳴り響き、私の羞恥心を掻

き立てる視線が突き刺さり続ける。どうにか額をはずし終えて床に下りたときには息も絶

え絶えになっていた。

 「あら、ごくろうさま。脚立持ってきたのだけれど遅かったかしら。」

 先生がなにやら言っているが、文句のひとつも言えなかった。

 額を掃除し終えて戻すときは、さすがに脚立を使ってくれたので、わたしは息を整えな

がら、作業を再開した。相変わらず撮影はやまないが、撮られる感覚にも慣れてきた。人

間どんな状況にもなれるもんだと変に感心する。恥ずかしさは変わらないけど。



 しばらくそうしていると、百子が近寄ってきた。

 「オサ先輩。掃除の最後に雑巾がけレースをやろうと思うのですけど、もちろんオサ先

輩は参加してくれますよね。」

 この格好でやれと?いや分かっている。この状況で私に味方などいやしない。

 「ええ、いいわよ。負けないわよ。」

 精一杯の虚勢をはって、何も問題ないと主張してみせる。

 「ふっふっふー。賞品はざわっちお手製のお菓子ですからねー。簡単には譲りませんよー。」

 勝負事態はまともなようだし、賞品も悪くない。とりあえず手元の品を片付けると、私

は絞った雑巾を保美から受け取った。



 「先生が合図するわねー。みんな用意はいいかしら〜?」

 「それじゃー、よーい、ドン!」

 先生の掛け声で、いっせいにスタートを、切ったのは私だけだった。

 道場の半ば手前で停止した私の後姿に、視線が集中してるが手に取るようにわかる。私

の心を今日一番の羞恥が塗りつぶしていく。いっせいに炊かれたフラッシュに意識が飛び

そうになる。

 「ないすポーズですオサ先輩。ひっじょーにセクシーですよ。」

 「はう、フルフル震えてかわいいです。」

 「良く引き締まってるわよねー」

 「あらあら、雑巾がけのはずなのに後ろの床を汚しちゃっていけないですよ、梢子さん」

 エトセトラ、エトセトラ……。ここぞとばかりに言葉による責めがはじまる。私の耳は

聖徳太子のそれにでもなったかのようにそれらの言葉を正確に捉えてしまう。視界は一瞬

ホワイトアウトし、体は一瞬の緊張のあと力が抜けてしまう、私は崩れるようにその場に

うつぶせに倒れこんだ。長時間にわたる責め苦の最後であった。



 「はい、梢子さん予備の制服です。」

 その後、何事もなかったかのように掃除は終わり、回復して座り込んでいた私にこれま

た当たり前のように、綾代が乾いた制服を差し出してきた。

 「ありがと、綾代、さすがにこの格好では家に帰れないわ。」

 「どういたしまして。」

 「先生、ワイシャツは後で洗って返しますから。」

 「あら、いいわよ、記念にとっておきなさい。」

 何の記念なんだ、まったく。百子といい綾代といい……私といい正常な感覚の持ち主は

ここにはいないらしい。

 とにかく今日は非常に疲れた。家に帰ったらおじいちゃんに念入りに鍼をうって貰う事

にしよう。あとなっちゃんに甘えて、ナミを可愛がって、とにかく安息が欲しい。

 どうか、家だけはこの先も正常な空間でありますように。