死にたくないと鬼が言った。

殺さないでと人が言った。

何も言わぬ骸が血に沈んでいた。

切らねばならないと汀は判じた。


闇を銀色が切り裂いて、悲鳴は近いはずなのに遠く、咆哮は弱々しいが耳へ貼り付く。

雑草を草刈鎌で刈り取る動作にも似た感情の無さ、その汀の視線は二つに増えた骸の真ん中、

この現状を理解できている強い少女へ向けられる。


恐怖の涙で濡れていた瞳は、怒りと哀しみでさらに歪んだ。


「……友達、だったの」

「そう」

「幼なじみで! ちっちゃい頃からずっと一緒で! これからも、ずっと……!」

「ずっと一緒で幸せに生きていたかった? なら、こんな時間に出歩いたこと自体が

間違いでしょ? 鬼じゃなくても世の中にはあんたらみたいなのを狙ってる連中が

そこら中にいるんだから」


少女も骸も、特に服装が派手だとか、髪の色が不自然に明るいということはない。

おそらくは「イマドキ」という言葉でくくって誰も異論は出さないだろう。

そういう少女たちだった。


時間帯は深夜。それでもこの界隈であれば、彼女たちくらいの年頃をした若者が

いくらでも見つかる。


普通であるということ。彼女たちは多数派だった。埋没という絶対の盾に守られた、

最も安全な存在であるはずだった。


それが短時間で少数派に成り代わってしまったのは、三人のうち一人が異形に

憑かれてしまったのは、もう一人がその爪に倒れてしまったのは、言葉を選べば

不運と言うしかない。


選ばなければ、汀のように、無用心だと責めるほか、無い。


「別にお礼しろとは言わないけどね。せっかく助かったんだから、ま、これからは

一人で生きていきなさい。

夜遊びはほどほどにしといた方がいいと思うけど」

「……っ!」


汀の頬が鳴った。彼女の反射神経と運動能力であれば避けられて当たり前の

手のひらだったが、それは綺麗に頬をとらえた。


人殺し。少女は汀をそうなじった。


「……それなら」


苛立ちも憤慨も見せず、もとより存在していないのか、汀はあまりにも自然に笑った。


「あのまま手を出さずにあんたも鬼に殺されて、それでも何もしなかったら、

あたしは人殺しにならずに済んだ?」


人殺しになるか、見殺しにするか。

少女にとって汀の道はその二つしかないのだろう。

汀にしてみれば、鬼切りという一本道を進んだだけだったのだけれど。


「その方がマシだった……!」


友と共に、友の手で果てたかったと少女は吐いた。

少しだけ汀の表情が変化した。

呆れていた。


「あんたがこれからどうしようとあんたの勝手だから、あたしは何も言わないけど」


肩をすくめ、刃を収めて背を向ける。


絶叫が聞こえた。

冷たい風が通り過ぎて、くしゃみが出た。




大体、皮肉や嫌味が多い時というのは汀がへこんでいる証左なので、携帯電話を

用いた会話もそこそこに、梢子は彼女の宿泊するホテルへ向かった。

常々思うが彼女は面倒くさい性格だ。おかげで誤解されてばかりいる。たちの悪いことに

その誤解を本人が利用するから更に面倒くさい。


嘘が、汀を構成する要素の八割くらいを占めている気がする。

残り二割は気まぐれと冷淡と一つまみの優しさだ。


一瞬、どうして彼女を気に入ったのか不思議に思った。


ともあれ、現実、梢子は汀を気に入っているので、こうしてわざわざ足を運んだわけである。


出迎えた汀の顔は皮肉と嫌味で構築されていた。


「どうしたの、ミギーさんに会いたくてたまんなくなっちゃった?」

「違うわよ」


ビジネスホテルのシングルルームは狭い。ベッドに腰かけた汀は片膝を立てて

両手でそれを抱えている。隣に梢子が並ぶ。暖色系の照明が汀の皮肉を浮かび上がらせる。

梢子は照明と皮肉に隠れた赤みに気づいていた。


撫でたら嫌がるだろうなと思ったので、ベッドへ両手をついて、わずかに首をかしげて

隣の彼女を見上げる。


「言いたくないなら言わなくていいけど、なにがあったの?」


元々合っていなかった視線が、さらに外れた。


ウゥン……と室内付けのエアコンが低く唸っている。そういえば少し暑い。

南の生まれだから寒いのが苦手なのかもしれない。設定温度を下げたら怒るだろうか。

怒りはしないまでも嫌味の一つは出てきそうだ。


調整温度になったのか、エアコンの唸りが小さくなった。

それを待っていたかのようなタイミングで汀が口を開く。


「オサ、肉は好き?」

「え? まあ、百子ほどではないけど、普通に」


思いがけない方向からボールが飛んできて、梢子はわけも判らないままとりあえず

打ち返した。


「牛でも豚でもいいけど、屠殺場ってどこにあるか知ってる?」

「知らないわよ。知ってる人の方が少ないんじゃない?」

「でも肉は食べるわけだ。どこかで殺された牛や豚を、平気な顔で」

「……汀?」


方向がつかめた。汀は皮肉な笑みで前方を見ている。

つまり、この笑みは梢子に向けたものではないのだろう。


「百ちー……や、どっかの肉好きにしておきましょうか。

毎日スーパーでパックに入った肉を買って、おいしいって食べてる人は、目の前で

牛が殺されたら『可哀想』って言うのかしらね」

「言うでしょうね」

「屠殺場がどこにあるか知らないのは隠されているからよ。

誰かが毎日牛や豚を殺してる、その事実を知らせないためにそれは隠される。

そうしないと可哀想だから」


梢子は小さく嘆息した。

まったく、面倒くさい。


「……もういいわ」

「ん? 肉が食べられなくなりそう?」

「そうじゃなくて」

「誰かに牛を殺させて、その肉を平気で食べて、けど目に入れば可哀想って

殺した誰かを責めるのよね。誰かが牛を殺したいと思ってるのか、そうじゃないのかも

考えないで」

「汀、やめなさい」


半ば無理やり頬に触る。彼女は一瞬だけプライドを傷つけられた顔をして、けれど

その手を拒まなかった。


「聞いてくれるんじゃなかったの?」

「聞くのはやぶさかじゃないけれど、言わせたくないの」


「オサ、我侭ー」茶化した口調があまりにも痛々しかった。

頬をそっとさする。汀が小さく目を細めた。

安心したような、傷ついたような表情に、皮肉めいたものはもうない。


「感情を理屈で責めても仕方が無いって、あなたも判っているんでしょう?」


不思議なほど、嘘と冷淡と気まぐれで出来た理屈屋の彼女は、それでも消しきれないほど

感情的で、困ったことに消せない感情それこそが一つまみの優しさなのである。


もっと別の感情であったり、完全に消してしまえたら、きっともっと簡単だったの

だろうけれど。

慣れているくせに、皮肉や嫌味を発露することでしか対処出来ないその弱さ。


一つの問題に、二つ以上の正解が存在していることを知っていて、そして全ての正解に

たどり着いてしまうその聡さ。


さらには、いくつかの正解の中から、損得勘定のみを基準として選んでしまう冷酷さ。


面倒くさいことこの上ない。


頬をさすっていた手をずらして、人差し指で唇をなぞる。

わずかに隙間が開いた。


「オサだったら、どうする? あたしがそうしたら、オサもあたしを許さない?」

「そうね、許さないわ」


一瞬も迷わず即答だった。どういうわけか汀は少しだけ笑った。


「じゃあ、もしそうなったら、オサとはお別れか」

「そんなわけないでしょう?」

「どうして?」

「許さないけれど、嫌いになるわけじゃないもの」

「許さないくせに?」

「ええ」


じゃれあいに似た問答だった。二人とも言葉を選んでいるだけで、選ばなければ

「愛してる?」「愛してる」と言い合っているにすぎなかった。


牛が目の前で殺されて、可哀想だと思っても、次の日には当たり前に肉を食うだろう。

そういうものだ。

それが、生きているということだから。


汀の首もとへ手を置いて、そのまま引き寄せる。彼女はおとなしく肩に額をつけた。


「こんなに可愛い子を、どうやったら嫌えるの?」

「……いつも思うんだけど、オサってものすごく直球よね」


少し照れたのか、汀は顔を上げないまま呟いた。

それはおそらく梢子の短所であり長所だろう。正解は一つではない。


「で、私はどうしたらあなたを慰めてあげられるの?」

「そうね……」


エアコンの唸りが大きくなって、それに邪魔をされてはかなわないという意図でも

あったか、汀の言葉は少し間があった。


「じゃあ、抱きしめてキスして」


ふふ、と梢子が小さく吹き出す。


「汀のことだから、もっと回りくどい言い方をするかと思ってた」

「それはさすがに野暮でしょう?」


確かに。長々と婉曲的な表現をされたら興を殺がれていたかもしれない。

さすがにここぞという時の判断は的確である。


汀の背中を抱きくるんで唇を重ねると、彼女は同じように応じてきた。


俗だし、下世話な慰め方ではあったが、なによりも望まれていることであったし、

またそれは快楽という意味のほかにも有用な手段だった。


とすん、ベッドに背中がつく。舌先で唇を弄ばれながら熱のこもった手のひらに

シャツをまくられる。進入してきた手のひらはたやすく胸元へ到達する。

抱きしめてキスをするという約束はあっさりと踏破されて、下着をずり上げられ、

現れたふくらみを繊細な手つきでせせられる。


「ふ……っ」


名前を呼びたいのに、ふさがれているから叶わない。


シャツをたくし上げられたせいで、一瞬無意識に身がすくんだ。

嫌悪ではない。むしろ期待と言って良い。


首筋を汀の舌が這う。ぞくりと震える。耳朶へ落ちた唇が食んでくる。

耳の外側をゆっくりとなぞられて、内側へ差し入れられる。

日常生活ではまず訪れない感覚に思わず汀のシャツを強く掴んだ。


「は……ん……っ」


手のひらで胸の先端を転がされ、それから指先で捏ね上げられる。

身体が熱い。エアコンの設定温度が高すぎる。熱が逃げない。逃げられない。

耳元で呼ばれて、彼女の声を強く意識して、なおも体温は上昇する。


「暑い?」

「ん……」


渦巻く熱が解放点を探している。

このままでは熱でどうにかなりそうだった。


汀は軽く上体を起こすと、梢子の身体にまとわりついている衣服を脱がせ始めた。

それに従い、また協力しながら、梢子は小さく眉をひそめる。


「こういう時に一番恥ずかしいのって、脱がされてる時よね」

「じゃ、自分で脱ぐ? それとも着たままする?」


彼女の言葉は皮肉でも嫌味でもなく、ただのからかいだった。上機嫌だ。


梢子はむくれ顔で汀の髪をかきまわす。


「恥ずかしいだけで、嫌じゃないの。知ってるくせに言わせないで」


うふん、と汀が満足げに笑った。


お返しに汀の衣服を脱がせにかかる。曖昧な輪郭があらわになっていく様を、

梢子は半ば感動を覚えながら見ている。

衣擦れがささやかに響いて、健康的な肌色が眼前に広がった。

なめらかで綺麗だと、常のことながら思う。


裸身が絡む。口付けて、深く絡んで、つながる。

舌を翻弄され、歯列をなぞられ、舌の裏側を撫で回される。

そのたびに走る電流。強弱をつけながら腰のラインを下りる指先を否応なく意識する。


汀の舌が、唇から顎へ、それからさらに下がってくる。

首筋で一度止まって頚動脈の辺りを舐め上げられた。脈動が大きくなる。

内側を流れる熱いもの。愛情かもしれなかった。


そのまま下りてきた唇に胸の先端を包まれる。「ふぁ……!」大きな刺激に

思わず腰が浮き上がり、それを汀の下腹に押さえ込まれる。


「やっ、あっ、汀……っ」


舌先に転がされて、押しつぶされて、軽く歯を立てられる。

逆側の胸は先ほどからずっと、柔らかく揉みしだかれていた。


「は……っ、みぎ、わ……」

「オサ、気持ちいいの?」

「ばか……っ」


見上げてくる双眸は恍惚に潤んでいる。

手を取って、それを自身の口元に引き寄せた。


「……汀……」

「ん?」

「あなたの手は、鬼を切るためだけにあるんじゃ、ないでしょう……?」


かすかに汀が目を瞠って、次の瞬間、安堵のように微笑んだ。


どちらからの誘いともつかなかったが、どちらも誘いに乗って、梢子の口腔へと

汀の指先が差し入れられる。


刃を握る手。牛を屠殺するスイッチを押す指だった。

けれどそれだけの意味しか持たないわけではない。

いつだってその手はその時なりの役割があって、それがある時は何かを切る、何かの

命を奪うものとなる、それは生きている意味で、隠された者の存在意義だ。


そして時には、こうして愛情を受けたりも、する。


人差し指と中指。それぞれへ丁寧に舌を這わせると、汀の表情がさらに愉悦を増した。

確かな快楽が見て取れる表情だ。小さく息をついて胸元へうずまる。

互いに快楽を与えながら意味を見つけていく。


面倒くさい彼女を気に入った理由はつけられなくても、なめらかな身体に触れる

意味くらいなら、つけられる。


指を引き抜いた彼女の身体が下がった。この先に何が訪れるのか察して、知らず知らず、

己の手首を噛む。


判断力のある彼女だから、「いい?」なんて野暮なことは聞いてこなかった。


足を広げられ、快楽で濡れそぼったそこへ彼女の唇が触れる。

「んん……!」舌が割り入れられて、硬く熟れた核芯を探り当てられる。

舐め上げられ、捏ねられて、吸い付かれる。身体中の力が抜けて、意識も明確さを

失い、ただただ、彼女の愛撫だけがすべてになる。


「んっ、あっあっ、みぎわ、そこ……っ」


反り返った背筋へ手を差し込まれて、身体の中心線を撫でられる。

もう何度も受けた手戯れに翻弄される。


「ここ弱いのよねー、オサ」

「やっ、しゃべんないで……」


短い呼気が梢子の口から洩れた。肉体が落ち着こうと懸命に努力している。

それをあざ笑うように、汀が太ももに両腕を絡みつかせ、なおも深く梢子のそこを

弄び始めた。


「んぁ……!」


快楽があふれ出す入り口へ、舌を挿し入れられる。舌先にかき回されて、意識が空白を

生んだ。とうに手首は外れて両手が求めるように汀の髪を掴んでいる。

いやいやをするように首を左右に振るも、快楽と熱はどこへも行かず、入り口をまさぐる

舌と核芯を擦り上げる指先が梢子を滅茶苦茶にする。


「あ……は、ぁんっ、汀、汀……!」


限界が近い。舌先に伝わる感触でそれを察したか、汀が一度顔を上げて、問うような

視線を梢子へ送った。


小さく頷きかけて、汀に両手を差し出す。彼女がその中へ上体を滑り込ませた。


ぎゅっと抱きしめると、汀の鼓動がかすかに感知できた。

速い。安心する。きっと己も同じくらいの速さだろう。


軽めのキスをして、ついばむようにもう一度。ある種、照れ隠しのような意味を持つ

行動だった。


「ねえオサ、ここでやめたら怒る?」

「そうね、嫌いになるかも」

「あ、それ困る」


じゃれつく会話は幸福。汀は微苦笑の表情で梢子の首筋に唇を落とし、少しだけ身体を

ずらして優しく腹部を撫でた。


少しずつ、ゆっくりと撫で下りる手のひら。ここで急くほど無粋ではない。

焦らされて、梢子の呼吸が再度乱れる。

熱の発現を手のひらに覆われ、中指だけが潜り込んでくる。

くちゃりといやらしい音が小さく届いた。


「……オサ」


その後の言葉は音にはならなかったけれど、梢子は正確に受け取って、頷いた。


指を押し込まれ、梢子のそこは抵抗もなく受け入れる。

鈍い異物感と知り尽くされた経験による快楽が襲いかかってくる。

いとしい身体をきつく抱きしめて、梢子は沸き上がってくる音の奔流に耐えた。


「んっ、んっ、は、あ……っ」

「オサ、オサ……」


内壁を擦り上げられる。入り口に近い熱源を激しく刺激されて悲鳴に似たか細い

嬌声が喉から絞り出される。


「あっあっあっ、汀ぁ……!」

「近いね……、いいよ、オサ……」


指を増やされて、堪えきれずに身体を丸める。それでも汀は許してくれなくて、

空いた手で強く抱き寄せ、さらに唇を重ねてそちらもなぶってくる。


上昇のイメージ、設定温度の高すぎるエアコンの唸り声。


「あ――――!」


親指で引き金を引かれて、梢子はギリギリ保っていた理性を飛ばした。




背後からゆるゆると腹部を撫でる手は止まらない。


鬼を切ったその手で、今度は柔らかな肌を撫でる。それは不実と言って良いのかもしれない。

けれど、梢子はその事実を驚くほどすんなり受け入れていた。

二つの意味を持つ手。それぞれをそれぞれとして理解している。

他の誰か……鬼の死に目に会った誰かには、理解しがたい感情だろう。


そう、感情なのだ、結局。


あまりにも私的な、そして詩的な綺麗事。

汚いもの醜いものに蓋をしてしまえば、それを綺麗だと言い張ってしまえば、

すべては美しくなる。なってしまう。


不実だからこそ、下世話な慰めで汀は救われてしまうのだし、梢子もまた、それを

受け入れてしまう。


それでも、一人くらい。

一人くらいは、汀の手にそういう意味をつけられる存在が、いてもいいのではないかと、

梢子は言い訳のように思う。


「汀、そろそろ離してくれないと寝そうなんだけど」

「いいわよ寝ても。ちゃんと朝になったら起こしてあげる」


意図的に的外れな返答をする汀の声は穏やか。穏やか過ぎて本当に眠りそうだ。


「そうじゃなくて、今日は帰らないと。泊まるなんて言ってきてないし」

「電話すれば?」

「この部屋、シングルで取ってるでしょう?」

「追加料金くらい出せるしー」


きゅむ、と抱きすくめてくる腕が心地良い。絆されそうだ。というか睡魔が。

なにせ疲れるのである。部活動のランニングよりずっと疲れる。

おそらく疲労の種類が違うのだろう。


しかしながら、さすがに無断外泊はまずい。放任主義な両親といえども、こちらは

なんだかんだ言って未成年の扶養家族なのである。最低限、守っておかなければ

いけないことというのはある。


「ねえ、やっぱり今日は」

「判った」


汀がさえぎるように告げてくる。納得してくれたようだ。

と思ったら、くるりと身体を反転させられた。

向き合う形になった汀は、どこか甘えるような笑顔だった。


「一緒にいて?」


それはちょっと卑怯すぎないか。


「や、その……」

「オサと一緒にいたい」

「畳みかけないで折れそうだから。

まったく、なによ、ずいぶん素直じゃない」


嘘とか冷淡とかはどこへ行った。それどころか優しささえも失せているではないか。


「オサの直球がうつったんじゃないの?」


くすくす笑いながら額を押し付けて、ちょんと唇を当ててくる。


「…………」


うん、眠い。なんだかとても眠い。たまらなく眠い。


「……携帯、取って」

「ん」


埒も無い。

意味とか、訳とか、そういうものは睡魔の前には無力だ。


いつだって、彼女が絡めば色々なことが面倒臭くなって、どうでもよくなってしまうのだ。

いつだって、彼女が沈めば色々なことを放り出してでも、どうにかしたくなるのだ。


眠くなって眠るように、ただそうしたい、そうしなければならないという、身勝手な感情。

理屈なんて無い。


携帯電話で自宅へ連絡を入れている間、汀がちょこまかとちょっかいを出してきた。

邪魔だとかおとなしくしてろとか、ボディランゲージと小声で伝えたのだが、まったく

聞き入れる様子がない。


仕方がないので手を握った。


汀はおとなしくはならなかったけれど、今日のうち、一番嬉しそうな顔をした。


たまらなかったので、明日は少し寝坊しても良いと、電話しながらこっそり決めた。