923 :傷跡1:2008/07/05(土) 21:16:53 ID:GyQiyRB7

 8年ぶりの小山内家は変わらぬ姿で夏夜を迎え入れた。変化に動じぬ家主の性格が反映されてるのか、

はたまた仕事に忙殺された故か。変わらぬ家具の位置に、足に馴染む床の感触に夏夜は本当に

8年を越してこの家に帰ってきたのかと一瞬疑いの思いを抱く。

 しかし確かに歳月は進み、変化はあった。秋芳の寝室の傍にある柱へ手を伸ばすと感じられる

縦方向に刻まれた幾つかの窪み。その傷跡は下から上へと徐々にあがってゆき、夏夜の肩より少し

低い位置で止まる。8年前ははっきりと視認できた傷跡は、今は触れて確認しなければならない事実に

夏夜は認めるしかなかった。月日は流れたのだと。

 それに何よりも。

「夏姉さん」

 呼ばれて視線を移すと、梢子がいた。その呼び方と、少女から女性への境目にまで成長した美しい

従姉妹の姿に8年の歳月を感じざる得ない。もう彼女の頭は柱の傷をとうに越している。

 夏夜は答えようとして、戸惑った。どう呼べばいいのだろう?子供の頃と同じように呼んだら嫌がるだろうか。

 卯奈咲で再会した時は気にならなかった一つ一つを意識する。何もかも変化に乏しいこの空間で、  

 梢子の成長が殊更際立っているのか。馬鹿げた考えだとわかるも、まるで初めて会う他人と対峙して

いるようで落ち着かない。

 考えて、考えあぐねて夏夜は結局かつてと同じ声色と、呼び方で答えた。「どうしたの、梢ちゃん?」

「お風呂沸いたから入って」梢子は夏夜の悩みに気づくことなく普段の調子で答える。いや、夏夜の

知っている普段の声はもっと幼く無邪気で、今のように落ち着きながらも明瞭に響く声ではない。

 夏夜はますます気まずい思いが増していくのを感じるも、言葉を続ける。

「ええ、梢ちゃんは入ったの?」

「私は夏姉さんの次に入るつもり」

「そう……」

「浴室に案内しようか?」

 夏夜はかぶりを振る。場所はわかっている。梢子にとっては8年ぶりに夏夜が帰ってきたと思った

故の親切だろうけど、夏夜にとってはほんの僅かな一時だったから。

 むしろ夏夜が知りたいのは――この落ち着かない気持ちの正体と、梢子のこと。

 私はどうして前のようにあなたに接することが出来ないのだろう。8年間あなたはどう変わったのだろう。

 そして――梢ちゃんは私をどう思っているのだろう。昔のように私を慕ってくれるだろうか。

 知りたくて、確かめたくて、夏夜は試してみることにした。

「梢ちゃん、一緒に入ろうか?」

 出来るだけ自然に言ったつもりだった。8年前の梢子に話しかけたように。あの時の梢子は笑顔で

頷いた。今はどうなのだろう?いくら女の親戚とはいえ一緒に風呂に入る年ではもうない。

 案の定、目の前の梢子は目を丸くしていた。しかし、恐れていたほど瞳に拒絶の色はない。

 梢子は考えるように、視線を巡らし――その眼差しは偶然にも夏夜が見ていた柱へと向かった――

わずかな逡巡の後に、やがて頷く。微笑みながら。

「久しぶりに、いいかもね」

 遠い過去を懐かしむような言葉だった。


924 :傷跡2:2008/07/05(土) 21:17:53 ID:GyQiyRB7

 やはり昔のようにはいかないものだ。脱衣所で衣服を取り去る時も、掛け湯をする時も互いに背を

向けた。もう彼女は夏夜の手を借りる子供ではないのだ。その事実に一株の寂しさと同時に安堵を

覚える。自分で誘ったにも関わらず夏夜は梢子の裸体を見ることによる自身の反応を恐れていた。 

 案の定、浴槽で向かい合って湯に浸かることで夏夜は今まで以上に落ち着きをなくす。浴槽は狭く、

二人の脚が伸ばし所を探した結果、絡み合う。夏夜は息を呑んだ。太腿の柔らかさに。立ち昇る湯気で

曇りつつも視線に映る光景に――夏夜は見た。脚の間の茂みを、ほっそりとした腰を、乳房を。

 肌は湯の熱で赤く、その下に流れる血の色が表面に表れている。夏夜の鼓動が波打つ。甦る鉄の

甘み、歯に伝わる弾力。梢子の肌の暖かさ。息吹。

 それに感じたい、触れたい、啜りたいと、内側から恐れていた欲情が湧き上がる。

 いけない――夏夜は衝動に抗う。私はどうして、どうしてあなたにこんな思いを。

 思考の渦から逃れるためにも夏夜は梢子の肌から目を離し、視線を上へと向け、途端に梢子と

目が合った。梢子はばつが悪そうに慌てて目をそらす。

 夏夜は気づいた。梢子が夏夜の十字に刻まれた傷跡を見つめていたのだと。傷は肩から腰へ縦に

伸び、胸下で一字に薙がれ――肌が火照ってきたせいか、白く浮き出ていた。まるでそこだけ血が

通っていないように。

 その瞬間、夏夜は貧血にも似た目眩を覚える。冷たい刃の感触が思い出される。はぜる痛みを、

噴き出す己の血が――血。そうだ私は血を欲している。刃の冷気を包む温かい血を。

 そして、目の前の梢ちゃんの柔らかい肌の下にはそれがある。

「夏姉さん、つらいの?」

不意に狭い浴室で響き渡る梢子の言葉に夏夜はびくりと身を震わせた。見透かされている。

夏夜は返事に迷いつつも、葛藤しつつも――楽になりたい気持ちと、彼女を傷つけなく思いの間で――

待ち望んだ。予感がしたのだ。一度は肩に、二度は唇を通して伝えてくれたように今度も、きっと。 

「私はいいから」

梢子が受け入れてくれるのを。


925 :傷跡3:2008/07/05(土) 21:18:58 ID:GyQiyRB7

 自身の身が立てる水音をどこか遠くに感じながら夏夜は梢子の肩へと手を伸ばし、引き寄せる。湯を

掻き分けて梢子が近づく。絡み合った脚の結びつきが強くなる。夏夜が手を背中へ滑らし抱きしめると、

濡れた肌が密着した。梢子は素直に夏夜に体重を預ける。 

 夏夜は少し迷い、やがてそろそろと梢子の首筋に唇を寄せ、軽く歯を立てた。最初に感じたのは湯の

湿り。梢子の息が夏夜の肩にかかる。牙で肌を突いた。「んっ……」微かな呻きが聞こえる。思った通りの

歯ごたえの後に続くのは熱い血のぬめり。唇を窄めて啜る。口に甘美な血の味が燃え広がる。

 夏夜は一旦唇を離し、跡を見た。歯型がつき、両の丸く穿った傷口が覗き見える。

「ごめんなさい、当分残っちゃうわね」

「別に、平気よ」梢子は微笑んだ。「すぐに消えるわ」

 それよりも、と梢子は夏夜の肩に手を置き、そこにある傷跡をそっと撫でる。

「ここはやっぱり元に戻るのは難しいの?」

「ええ、一応コハクさんにも聞いてみたけど」

 その言葉に梢子は眉を寄せる。心優しい彼女のことだから責任を感じているのかもしれない。

「これじゃ、お嫁にもういけないわね」だから敢えて夏夜は冗談めかして深刻になろうとする空気を

霧散しようとした。

 しかし梢子は何も答えず、いや何かを言おうと口を開くも、吐息だけを漏らして、唇を噤み、うな垂れる。

 沈黙が落ち、夏夜は再び居心地が悪くなった。気を紛らわそうと目の前にある梢子の首筋の傷に

意識を注ぐ。傷口から血が滲み、ぷっくらと膨れ上がっている。流れる前に舌で舐め取った。

 そうだ、この傷はいつかは消える。でも私の傷は、私の罪を告げる跡は。

 梢子の首に唇を当てて吸い続けながら夏夜は思考を己の傷跡へと向かわせる。夏姉さん、と呼ぶ

声に気づかずに。

 柱の傷が梢ちゃんの成長を見守る証なのだとしたら、この十字架は私の罪の証。私の敗れた記憶は、

梢ちゃんを守れなかった過ちとして刻まれ一生残る。

 私は本来なら梢ちゃんの前に現れる資格もないはずなのに。だけど会いたくて、会えて嬉しくて、

それだけで満足するべきだったのに。あろうことか私は今のようにこの子を傷つけて、血を啜って、

丸みを帯びた身体に鼓動を鳴らして、ましてや触れ合いたいと。

 きっと私も変わったのだ。この傷を受けた日から身は鬼となり、心は。梢ちゃんへの想いは――

「なっちゃん」

 はっとして我に返る。呼び方はかつてと同じ。それでも声は、もうあの頃と違う。少し素っ気無くも

落ち着き払った声が脳髄に沈みこんで夏夜は今まで以上にはっきりと自覚した。8年の歳月を。

梢子への想いを。

 私は、この子に恋をしている。


926 :傷跡4:2008/07/05(土) 21:20:04 ID:GyQiyRB7

 夏夜は梢子の首筋から離れ、梢子と向かい合う。首の血はとうに止まっていた。夏夜を呼んだ唇は

湯気に当てられしっとりと湿っていた。夏夜はその唇の感触を知っている。望んでいる。求めている。

「なっちゃん」

 梢子の唇が再び動き、彼女は両手で湯を掬い、夏夜の頬へと近づけ濡らす。そして摩る。まるで

清めるように。 

「泣かないで」

 泣いていないわ。そう答えようとした。しかし梢子の言葉に不意に瞼の奥から熱いものが込み上げて

くるのを自覚する。頬から流れる滴は頬を濡らす湯よりも熱かった。

 訳を梢子は訊かなかった。訊かれても夏夜は答えられなかっただろう。代わりに梢子は夏夜の肩に

置いた手に力を込める。

「私は、好きよ」どきりとするも、すぐに傷のことを指しているのだとわかった。

 梢子は下へと、刻まれた跡を辿った。「だって私を守ろうとしてくれた跡だから」鎖骨を撫で、乳頭の

隣を掠め、腰下を擦る。

 夏夜は溜息をついた。そこは本来膜が張っているかのように感覚が鈍っているはずなのに寄せられた

手の感触は失った痛覚を呼び起こし、血流を甦らせる。血の脈動と共に傷は疼き、熱となり、情動となる。

 夏夜は喉を振るわせた。「でも、でも私は……」結局守れなかった。

 梢子はかぶり振った。そして今度は横に伸びた跡をなぞる。

「多分何もされずに連れ去られたら本当に私は死んでいたと思う。根方さんは勢いのまま私を完璧に

手にかけたかもしれない」慰めではなく、ただ淡々と予想される可能性を告げる。

「それに――」言葉の途中、梢子は夏夜の身から手を剥がし、自身の顔へと当てた。

「ごめん、上手く言えない。私はただ」

 ぽつりと呟く。指の間に見える頬が紅いのは湯気のせいだけでは、ない。

「私を守ろうとしてくれた、私を大切に想ってくれた証だから、好きなの」

 夏夜の心に細波が広がる。喜びで、興奮で。大切に想ってくれた証。そんな風に考えたことも無かった。

 私もなれるのだろうか。あの柱の傷のように。この子を象る一部へと。過去にも今にも未来にも残り

続け、触れては唇を綻ばす跡へと。

 夏夜が何も言わないのを別の意味に梢子は考えたようだった。

「それでも気になるなら……」

 梢子は再び手を夏夜の傷の胸辺りに這わせる。舐めるように。手の動きに従って夏夜の膨らみが

沈み、夏夜はまた震える。

 次の瞬間、聞こえてきた声に夏夜は耳を疑った。

「私にも、傷を残して」


927 :傷跡5:2008/07/05(土) 21:20:58 ID:GyQiyRB7

 そして今、夏夜は梢子を浴槽に横たわせ――自身は浴槽の縁に手を置くこと身体を支えながら――

その上に覆いかぶさり、唇を重ねている。戸惑いはもうない。

 数分前の会話を思い起こす。迷う夏夜に梢子は何と言っただろう。大丈夫とか平気とかもう子供じゃ

ないとかそんなことを口にしていたような気がする。何よりも夏夜の心を突き動かしたのは――

「好き、なっちゃん」梢子が再度囁く。傷だけを指さずに、夏夜に向かって。

 夏夜は笑みを浮かべて梢子の全身に唇を降り注いだ。肩に、腕に、胸に、腹に、太腿に、ふくらはぎに、

満遍なく。夏夜の唇が通るたびに紅い痣が散らばった。赤らんだ肌に紛れることなく跡はしっかりと残る。

 夏夜は紅の中でも特に目につく乳房の頂きにある、既に紅く充血していた粒を口に含んだ。梢子が

仰け反る。吸い上げるとより一層首をそらし、声をあげた。狭い浴室内で反響し、透き通る。その反応に

気を良くした夏夜はもう片方も舌で愛撫する。手は梢子がしたように梢子の肌に刻まれた跡を辿る。

肩を撫で、胸を包み、腹を滑り、太腿をくすぐり、ふくらはぎを軽く揉む。動きに従って梢子の腰が揺れた。

振動が梢子の脚を上げ、水が跳ねる音と同時にちょうど膝の上にあった夏夜の両脚の奥を刺激する。

「んっ!」夏夜の喉元から声が弾けた。突如の快感。不意な出来事に梢子も驚いたのか一瞬動きを

止めて、また恐る恐る膝を上げる。今度は夏夜が仰け反った。

「梢ちゃん……」夏夜が呼ぶと、梢子は頷き両手を開いて招き入れる。「私にも来て、なっちゃん」

 夏夜は梢子の背に腕を回し、梢子は夏夜の重みを受け止め、口づけと共に互いの脚の間に、脚を

挟む。夏夜は感じた。ふわふわと漂う茂みがくすぐるのを。水以外の液体が梢子から溢れるのを。

 二人は動き始めた。梢子の硬い膝が夏夜の中心で円を描く。夏夜の太腿が梢子の尖った芽を責める。

押して、引いて、滑って、また押して。徐々に水の音が激しくなる。湯が浴槽から溢れ、零れた。

 湯は二人の汗を流し、身体を包み込む。夏夜は身も心も浮き立ってくるようだった。夢見心地の気分の中、

夏夜は気がつかなかった。意識せず梢子の背に爪を立て、線を引いてることを。夏夜には梢子の微かな呻きが

聞こえなかった。 

 互いに責め始めてから夏夜の耳奥を何かの音が支配している。梢子の声か。自分の声か。不規則に、

単音が複雑に混じっているような音はくぐもってはっきりと聞き取れない。

 その音は最後の瞬間まで途絶えず――ふと夏夜は察した。それは己の血潮の音なのだと。途端に

傷が強く唸りを上げ、感覚が研ぎ澄まされ、指を濡らす熱い梢子の血を感じた。遅れて果てる梢子の声も――


928 :傷跡ラスト:2008/07/05(土) 21:22:01 ID:GyQiyRB7

 身体を洗い、浴室から出た二人はまず梢子の背中と首筋を治療することにした。

「ごめんなさい、梢ちゃん……」

「まったく、夏姉さんは昔からうっかりなんだから」

 梢子は夏夜に剥きだしの背を向けていたので表情はわからなかったが、夏夜は梢子が間違いなく

苦笑を浮かべていると思った。何だか子供扱いされている気がして府に落ちない。せめてもの

年上としての矜持のために指についた血を舐めたことは内緒にしておこう……

 夏夜が消毒液をつけると梢子は身を縮こませる。

「いたたっ」

「我慢しなさい」

「でも痛いわ」少し甘えるような言葉。8年前を思い出す一面に夏夜は微笑する。

 昔、口にした言葉をもう一度言う。「ちゃんと治療しないと跡が残って、そうなったら――」

 唐突に先程のある場面を思い出す。

「そういえば」

「え?」梢子が訝しげに振り向いた。

「梢ちゃん、さっき私がお嫁にいけないと言った後に何て言おうとしたの?」

 あの時、確かに梢子は何かを言おうと口を開いて、閉じた。

 梢子は慌てて背を向ける。「いきなりどうしたのよ」

「ねえ、梢ちゃん」消毒液を塗る手に好奇心を込めて力を入れる。

「いたっ!わかった!わかったから」

やはり背を向けて梢子の表情はわからなかったけど、夏夜は確かに感じ取った。梢子が手のひらを

自身の顔に置くのを。


「その時は私が一生面倒をみるわ」