それは、私にとって運命の出会いでした。

海岸に打ち上げられた名も無き少女。

彼女はまるで海のように深く、美しく波打つ白い髪を持ち、

同じく肌も、この世のものではないほどに綺麗で、

私よりもずっと姫らしい、可愛らしい顔をしていたのです。

それは一目ぼれ、といっても過言ではないでしょう。

彼女という存在は、私にとって、それはもう、衝撃的でした。

この世にこんな可愛い生物が存在していていいのでしょうか。

いいのです!

彼女のような存在を愛でるために私は生まれてきたのです。

私はこの激情を胸に秘め、日々を生きてきました。

咲森寺を去るとき、寂しそうにこちらを見るナミちゃん。

私はそこからナミちゃんを連れ去って、二人で駆け落ちしてしまいたいほどでした。

しかし、そんなことナミちゃんが望まないでしょう。

ナミちゃんは……私よりも梢子さんに懐いていますから。

私よりも、相沢さんに懐いていますから。

どうせ駆け落ちするなら、その二人を選ぶでしょう。

しかしです、私も負けては居られません。

この冬休み、なんと、ナミちゃんが、こちらを訪れるという話ではないですか!

しかも、冬休み中、ずっと。ずっとですよ!

これはもう、チャンスです。

私は、こっそり合宿中に撮っておいたナミちゃんの写真を取り出します。

ナミちゃん、かわいいです。

私は精一杯、二次元のナミちゃんを愛でます。

顔をさわさわ、体をさわさわ。

ナミちゃんの寝顔は、反則です。

ついに私は我慢できなくなり、押入れの奥に貼り付けた、ナミちゃんのポスターを取り出します。

等身大です。

写真を拡大してもらったので、画像は荒いですが……そんなの問題ではありません。

等身大です。

つー、とナミちゃんの輪郭をなぞります。


「ふふ、ふふふふ……」


思わず笑いがこぼれてしまいました。

私の興奮もクライマックスです。

私は押入れの奥に隠しておいた最終兵器――ナミちゃん抱き枕を取り出します。

拡大されてますから、画像は荒いですが……そこは愛でカヴァーです。


「ナミちゃん、やわらかいです」


実際のナミちゃんはもっとやわらかいのでしょう。

懐かれていた梢子さんがうらやましいです。

ナミちゃんを抱きしめることもたやすいでしょう。

実際やっているのかもしれません。

モヤモヤと私の愛は暴走して、抱きしめるだけでは足りなくなります。

噛みます。


「ナミちゃん、塩辛いです……」


なんだか塩辛いような、よくわからない味が口の中に広がります。

布の味です。

もしかしたらインクの味も多少は混じっているかもしれません。

ですけど大丈夫、そこは妄想でカバーです。

これはナミちゃんの味なのですから。


「ナミちゃん……ナミ……すぅ……」


私はナミちゃんに包まれながら、眠りに落ちていきます。

明日。ついに明日です。

私がどれだけこの日を待ちわびた事でしょう。

この半年の想いは、梢子さんに決して負けることはないと、胸を張ることができます。

梢子さんは、ナミちゃんを友人として迎えるでしょう。

しかし、私はそうではありません。

家族として?

いいえ、違います。

恋人として?

いいえ、それも違います。

私はナミちゃんを――


――伴侶として、迎え入れようかと。


そう思っているのです。

どうです、梢子さんにも負けていないでしょう。


「ナミ……ちゃぁん……」


夢の中のナミちゃんは、今日も私に甘えてくれます。

私の足と足の間に座り込んで、上目遣いで私を見つめてくれます。

そして、そのまま私は唇を落として……




……………




翌朝。

差しこむ朝日の光と、小鳥の囀りで目を覚まします。

今日もいい朝です。

私は身だしなみを整えると、居間へと向かいます。

毎朝の儀式です。


「おはようございます、お父様」

「ああ、おはよう、綾代。お前は今日も可愛いな」


社交辞令ではないのでしょうが、これも毎朝のことですから、ありがたみも薄まります。

とはいえ、コレがないと、私も調子が狂ってしまいますが。


「綾代、今日はたしか……」

「はい、梢子さんの所へ遊びに行こうかと」

「ナミちゃん、だったか?」

「はい、ナミちゃんです。咲森寺の合宿の時に知り合った女の子なんですよ。

 すごくかわいくて……ナミちゃん……かわいくて……」

「……綾代。男では、ないんだな」

「お父様、ナミちゃんが男だなんて、そんなことありません!」

「いいや、最近の親はよくわからんからな。妙な名前ばかり付けるからな。

 ナミという名前の男が居てもおかしくは……」


これ以上父に介入されるのはよくありません。

もしかすると、梢子さんの家まで着いてきてしまいそうですし。

私は仕方なく、秘蔵のナミちゃんコレクションの一部を見せることにしました。


「お父様、これがナミちゃんです」

「む、これが……かわいいな」


やはり父は私の父だけあって、スグにナミちゃんの虜になりました。

いえ、もし私と血が繋がっていなくても、ナミちゃんの虜になるのは時間の問題だったでしょう。

それほどまでに可愛いのですから。

私は写真を見つめます。ときめきます。

これほどまでに美しいのですから。

この世の誰もが虜になってもおかしくないぐらいの可愛さです。


「というわけで、今日は――」

「あ、ああ。思う存分楽しんで来るんだぞ、綾代」

「はい、お父様」


ナミちゃんとの交友を深め、あわよくば抱きしめ、あわよくば告白し、あわよくばキス――

もやもやと、私の頭の中に妄想が広がります。

私にキュッと抱きつくナミちゃんの姿。

妄想しながらも、食事をとめることはしません。


「いただきます」


マナーを守りながらも、私の頭の中はナミちゃんでいっぱいです。

まず、玉子焼きに手をつけます。

ナミちゃんの台詞がリフレインして、私の頭の中は幸せでいっぱいです。


「ナミちゃん、おいしいです」


玉子焼きは、私の中でナミちゃんに自動変換されています。

こうして私は、幸せな食事を進めました。

われに返ると、父が私を心配そうな目で見ていましたが、問題ありません。

私はセイジョウですよ。




………




ついに、ついにこの時間がやってきました。電車に乗り、いつもとは違う駅で降り、向かう先は梢子さんの家。

時刻は朝八時。部活は九時からなので、迎えに来る時間としては丁度いいでしょう。

震える手を押さえながら、私はインターホンに手を向けます。

ピンポーンと、少し古臭い音が鳴り響き、家の中からゆっくりと足音が聞こえてきて――


がちゃり、と。扉が開いて、


「お、お、おはようございます、梢子さんっ! あの、な、なななナミちゃんは――」

「桜井の所のお孫さんか。朝から元気だな」

「あ、あれ……梢子さんの、お祖父さん?」

「梢子に用か? ああ、部活だな。わざわざ迎えに来てくれたのか」

「いえ、私の方も用事がありましたので……」

「そうか。どうだ、上がっていくか?」

「は、はい。じゃあ……お邪魔します」


梢子さんのお祖父さんである仁之介さんに誘われて、私は梢子さんの家へ。

こんな風にぶっきらぼうなお祖父さんですが、とても優しい方だと、私は思います。

梢子さんには厳しく当たってるみたいですけど、それも梢子さんのことを思ってでしょう。


「こ、ここにナミちゃんが……」


確かに、ほんの少しナミちゃんの芳香が漂っているような気もします。

この家には何度か訪れたことがありますから、私は迷わずに梢子さんの部屋へ。

玄関からまっすぐ廊下を進み、右側の部屋。


『こら、ナミ……もう……と、……遅れるでしょう?』

『もう少し……二人で……』


なにやら、扉の向こうから不穏な声が聞こえてきます。

どうやら声の主は、梢子さんとナミちゃんのようです。

いきなりナミちゃんに会うのは心臓に悪いので、まずは声を聞いて心臓を慣らしておきましょう。

私は足音を殺して、そっと扉へと近づき、そのまま扉に耳を押し付けます。

いや、決して盗み聞きしているわけではありません。

心臓を慣らしているのです。正論です。


『もう、甘えんぼなんだから……ほら、早く退いて。帰ってきたらずっと一緒にいてあげるから』

『今、甘えたいです』

『ナミ……』


一体何が起きているのでしょう。

私の妄想の中でのワンシーンにそっくりですね。

ただ、そのときと違うのは、相手が私ではなくて梢子さんと言うこと。

いや、いやいやいや、でもまだそうと決まったわけではありません。早合点はだめです。

そうそうこの狭い世の中で女の子同士の恋愛があるわけがないではないですか。

秋田さんと相沢さんだけで十分です。


『どうしたら、退いてくれる?』

『……キ……』

『え、もう一回……言ってくれるかしら』


私も聞こえませんでした。


『キス、してくれたら退きます』

『――ナミっ!?』


聞こえませんでした。

何も、私の耳へは届きません。

もしかしたら、私の耳は今防衛本能を発揮して、

俗に言うギョーザ(秋田さんが自慢げに披露していました)のような形になっているのかもしれません。


『帰ってきたら、ずっと抱っこしててあげるから』

『今もしてもらってます』

『じゃ、じゃあ……』

『んー……』

『な、ナミ……』


一体、この部屋の中では何が起きているのでしょう。

私には理解できません。

ここは夢の中でしょうか。

そうです、夢の中です。

夢の中ですから、きっとキスしようとしているのは、私のはずです。

そうです、私です。

私が――


『あー、もうっ! わかったわよ、やればいいんでしょう、やれば!』

『んー』

『い、いくわよ……』


――私が、キスをっ!


「梢子さん、だめええぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」


私は大声で叫びながら、梢子さんの部屋のドアをぶち開けます。

そうです、キスするのは梢子さんではありません、私なんです!


「む、んんっん!」

「んー」


むちゅりと。

唇と唇が合わせられて。

接吻です。キスです。

目の前で行われているのは、恋人同士が行う儀式です。

ナミちゃんと、その相手は、私ではなく、梢子さんで。

問題はそれだけではありません。

なんということでしょう、ナミちゃんと梢子さんはベッドの上で、抱き合っているではありませんか。

梢子さんの来ている制服は、寝転がった所為か、それとも別の原因か、はだけています。

匠も真っ青の、完全無欠の、恋人スタイルではありませんか。

なんということでしょう。なんということでしょう!


「ぷはっ。あ、綾代、これはねっ」

「梢子……さん……」

「お久しぶりです、綾代さん」


ナミちゃんに初めて名前を呼ばれた喜びも、全て消えてしまうほどの衝撃でした。

血の気が引いていくのがわかります。

わかりました、コレは夢です。

悪い夢。悪夢。白昼夢。

だから、今から私は目を覚ますのでしょう。

さあ、朝はこれから――


「綾代、顔色が……」


ふらりと、体のバランスが崩れる感覚。

現実世界では、ベッドから落ちているのかもしれません。

私が普段使っているのは布団ですから、それはありえないと理解していますが、夢の中だから、何が起きるかわかりません。

もしかすると、私と秋田さんが恋人同士なんて展開もありえるのかもしれませんから。新しいです。


「綾代――っ!?」


ボスッという鈍い音と共に、目の前が真っ暗に。

右半身に軽い鈍痛。

そこから何が起こったか、私は知りませんが、

次に目を覚ましたのは、梢子さんの部屋で、もう空は赤く染まっていました。

一体どれぐらい長い時間眠っていたのか。

ようやく私は長い夢から醒められたのですね――と思った矢先。

目の前に飛び込んできた光景は、梢子さんの膝の上に座るナミちゃんの姿。

いや、まだそう決めるには早すぎます。

――ほんの少しデジャブを感じながら、私はこれは現実であることを確認するため、頬をつねります。

ちゃんと痛覚があるということは、現実なのでしょう。


「梢子ちゃん」


二人は私が目を覚ましたことに気づいていないのか、見つめ合っています。


「どうしたの、ナミ」

「んー」


ナミちゃんはくいっと顔を上げて、梢子さんにその可愛らしい唇を向けます。

梢子さんは苦笑しながらも、その頬を撫でて、ちょうど朝と同じ様に。


ちゅっ。


と。

ああ、これは。

夢なのですね。

つねった頬の痛みは、おそらく父が私の寝床に侵入して、あまりの可愛さに頬をつねってしまったのでしょう。

だから、私の目の前が真っ暗になっているのは、きっと目覚めのサインなのでしょう。


「あれ……綾代?」

「どうしたんですか、梢子ちゃん」

「いや、綾代の顔が……」

「真っ青です」

「綾代、綾代っ!?」


ぐらぐら揺さぶられているような気もしますが、気のせいでしょう。

私はこれから現実へ返るのですから。


「大変っ。お祖父ちゃん! 綾代がーっ!」




                                ――――蒼い代