555 : ◆/ParALYsz2 :2008/05/23(金) 22:52:01 ID:2r5Orinc

 水に沈んでいた身体が浮き上がるような感

覚。夢の終わりによく感じるこの浮揚感をい

まもまた感じていた。

 幸せな夢だった。

 小さな私は縁側に腰掛けて、庭で竹刀を振

るう女性、夏姉さんをただ眺めている。

 その立ち姿は私にとって理想の姿であり、

そしてその傍にいることが理想であった。

 目標の回数に達したのか、あるいは気まぐ

れに休みを取ろうとしたのか。夏姉さんは竹

刀をおろしこちらに振り返った。

 「なっちゃ・・・」

 声を掛けようとしたところで、浮くような

感じが強くなる。

 私は夢から現へと浮かんでいく。浮かびき

ったところで目が覚めた。


556 : ◆/ParALYsz2 :2008/05/23(金) 22:52:46 ID:2r5Orinc

 視界が少しずつ開けてゆく。

 ぼやけていた光景が徐々に焦点をむすび、

おぼろげな景色がはっきりとした形をとる。

 「おはよう。梢ちゃん。」

 私の目が認識するより早く、耳に入ったそ

の声は脳に届き、そこから全身に暖かい感覚

を広げる。

 ようやくそこで夏姉さんの顔をはっきりと

認め私の意識は急激に覚めていく。

 頬が熱い。

 「・・・おはよう。なっちゃん。」

 それだけが、やっと口から出た。

 朝起きて最初からそこに愛しい顔がある。

なんと幸せなことか。

 私は、8年間置き忘れてきた幸せを取り戻

してきたのだ。そんな実感を新たにする。

 私は帰ってきたのだ。


557 : ◆/ParALYsz2 :2008/05/23(金) 22:53:20 ID:2r5Orinc

 卯奈咲での一件で私は8年前の記憶と、夏

姉さんを取り戻した。

 私を命がけで守ってくれたことを忘れてい

たなんて自分でもなんて恩知らずなんだろう

と恥ずかしくおもったりした。

 そして、どうして夏姉さんなしの人生を歩

んでこれたのだろうかと、今は不思議に思う。

 卯良島に渡る道中で絆を確かめあったとき、

私の心は8年ぶりに満たされた。

 それまでずっと胸の内の奥深くにあった空

虚がやっと埋まったのだ。

 私の目の前にいるこの人によって。

 朝食にも手をつけずそんなことを考えてい

ると、

 「どうしたの?梢ちゃん。私の顔をじっと

見て。ご飯粒でもついてる?」

 そんなふうに疑問を持たれてしまった。

 「あっ、いや、なんでもない。」

 「そう?」

 「ねえ、なっちゃん。なっちゃんは今日何

か予定ある?」

 「ないわよ。どうして?」

 「じゃあ、今日は一日一緒にいてくれる?」

 「もちろん。私はずっと一緒にいるわ。梢ちゃんの傍に。」

 ああ、私はなんて幸せなんだろう。


558 : ◆/ParALYsz2 :2008/05/23(金) 22:53:40 ID:2r5Orinc

 気まずくない、むしろ暖かい沈黙が私達の

周りを支配している。

 寄せ合った肩にかかる重みとぬくもりが心

地よい。

 私も、夏姉さんも口数の多いほうではない

から会話は途切れ途切れだけれども、ただこ

うしていられるだけで、それでよかった。

 「・・・幸せね。」

 そんな呟きをもらしたのはどちらだったか。

 「私は梢ちゃんと一緒にいられるんだった

らどんなことでもするし、なんにだってなる

わ。」

 「どうしたの?なっちゃん突然。」

 「それくらい、梢ちゃんと一緒にいたいっ

てこと。ほんとにお母さんにでも、お姉さん

にでもなりたいわ。」

 そう。私と夏姉さんは本当の姉妹ではない。

 ・・・でも。


559 : ◆/ParALYsz2 :2008/05/23(金) 22:54:14 ID:2r5Orinc

 「・・・恋人には?」

 えっ?自分でもびっくりするような言葉が

口からこぼれた。

 私、今なんて?

 夏姉さんもびっくりした顔で私を見て、で

もすぐに優しい顔に戻って、

 「そうね、それは素敵ね。でも梢ちゃんは

私でいいの?」

 そう答えてくれた。

 拒絶の言葉を一瞬恐れたわたしは、その言

葉に嬉しさを隠せなかった。

 「いいに、決まってるじゃない。私は、な

っちゃんが好き。なっちゃんだから好きなの。」

 そう口にしながら。なっちゃんに抱きつい

た。

 なっちゃんは、そんな私をやさしく抱き返

してくれて、それがまた嬉しかった。

 自分の身体を押し付けるように強く強くな

っちゃんの体を抱きしめる。

 なっちゃんもそれに答えて私を抱く力を強

くする。


560 : ◆/ParALYsz2 :2008/05/23(金) 22:54:44 ID:2r5Orinc

 目を閉じてあごを上げてなっちゃんを見上

げるように顔をむける。

 まぶたの向こうからなっちゃんの顔が近づ

いてくる気配がして、くちびるにやわらかい

感触を感じた。


 ・・・ ・・・ ・・・


 長い長いキスのあとゆっくりと名残を惜し

むように互いの顔をはなす。

 心臓はいまだ早鐘を打ち。全身は火がとも

ったように熱い。

 「なっちゃん。愛してる。」

 「私もよ。愛してる、私の梢ちゃん。」

 誓い合うように互いに言葉を交わす。

 そう、それは門出の言葉、わたしとなっち

ゃんの新しい未来への。