630 :名無しさん@ピンキー:2009/11/22(日) 21:18:50 ID:LP9ahsmt

 柚明は、親愛なる従妹の、桂の手首に残る傷痕を気に懸けていた。

 朝の準備も一段落し、今、学校に行こうとしている、桂の、手首に覚えず目をやる。

 そこには、生涯残るであろう、一筋の傷が付いていた。柚明を、その存在の危機から救い出した、桂の想いの痕。

 だからだろうか、柚明の心には、複雑なものがあった。(私を……救う為に付いてしまった傷、愛しい桂ちゃんの……)

 柚明の胸中には、哀しみに、喜びがほんの僅か混じりながら、今日も、桂を学校へ送り出す。

 桂も、柚明が、傷痕を気に懸けていることを知っていた。

 桂もまた、愛する従姉の命を救った傷に、一つの誇りを持っていた。

 もちろん乙女として、身体に傷が残るのを、歓迎してはいるわけではないが、それでも、心以外に、身体に残る、柚明との繋がりがある事で、心に熱が籠もるのを感じていた。

 羽藤の姉妹は、狭いアパート暮らしである。

 桂は、母と住んでいる頃より、毎週一回はことに狭いお風呂ではなく、町の銭湯に行くことにしている。

 この習慣は母が亡くなってしばらくは止めていたが、気持ちも落ち着き、昔から親しくしていた、柚明と暮らすようになり、再開する事にした。

 そして、今度の銭湯に行く日。桂の胸中には、傷痕を気にする柚明に対しての、ある計画を抱いていた。

 当日の夕刻。

 大雪を過ぎた今、寒さもいよいよもって、吐く息の白く霞む程となり、又、割合早い時刻であるというのに、誰ぞ彼と言う、曖昧な陽の、燈色に輝くのも沈み込み、夜の天蓋に移り変わった時分。

 桂はどきどきしながら、柚明と共に銭湯を目指し歩いていた。

「柚明お姉ちゃん、向こうに着いたら、身体伸ばして温まろうね?」

 桂は殊のほか、良い機嫌である。心なしか、頬に赤みが差している。声には少々の上擦りが見られる。

 柚明は、寒さのせいであろうと納得し、別段気にすることもなく、桂に対して返答する。

「えぇ、身体をしっかり洗って温まりましょうね」

 道中の、風の冷ややかさに、身を震わせながら、繋いだ手だけ、じんわりと温かい。

 いよいよ着いた銭湯。客の入りは、いつものごとく、ほぼ無い。

 女性の客に到っては、桂、柚明の姉妹だけのようであった。

 柚明は自身の年の、実は、桂とほぼ同じであるのを胸中に思いながらも「大人一人と、高校生一人です」と、番台の人に料金を払い、暖簾をくぐる。

 互いに気心の知れた間ではあるとはいえ、脱衣場では、多少の恥じらいを覚えながらも、タオルで前身を隠し、いよいよ入浴する。

 桂は、いつ見ても、柚明の肌の美しさに見とれてしまう。乳白色のもちとした肌の艶やかな事。うなじからすらりと緩やかな曲線を描く背筋。主張のしすぎない臀部に続いて、太股からふくらはぎ、足の指の先まで均整が取れている。

 柚明はそんな桂を、いつものように、惚けてしまったのだと思いながら、優しく

「桂ちゃん、入りましょうか」と誘う。

 湯気が立ち上る、浴内。姿見と、プラスチック製の椅子がズラリと並ぶ。

 その中程に、隣り合って桂と柚明は座る。

 まず、タオルに石鹸を付け、泡を立てる。柚明は桂の、桂は柚明の背中を互いに洗い、その後、各々自分の身体を洗う。

 桂は手を動かしながらも、横目で、柚明の身体を擦るのを見る。肌に付いた泡が、つぅと流れるのが、妙に艶めかしい。

 そんな事を考えながらも、桂は身体を洗い終える。先に洗い終えていた柚明は、桂に声をかける。

「さぁ、桂ちゃん、お湯に浸かりましょうか」

「うん……」

 歯切れの悪い桂に、柚明はふと違和感を覚える。桂は、内に秘めたる想いを持つばかりに、胸中、いよいよと、心臓の鐘を鳴らす。

 桂はこの時間、他に客が居ないことは承知である。幸いに、本日も、桂と柚明の二人だけである。

 桂は急に入ったりせず、おそるおそる、足先から湯に触れ、温度を確認しながら入る。

 熱めの湯が、じわりと身体を温める。シャワーで、少しは温まったとは言え、依然、冷えていたことに変わりはなく。芯から温まる感覚には幸福感を覚える。

 湯の、血行を良くするのも手伝ってか、桂の、心臓の鼓動は大きく脈打つ。そして桂は思いきって、自身の胸中を語る。


631 :名無しさん@ピンキー:2009/11/22(日) 21:19:22 ID:LP9ahsmt

「柚明お姉ちゃん、これ……気にしてる……よね?」

 そう言い、桂は、ちゃぷと水音を立て、手首を湯から出して、柚明の方へ向ける。

 もちろん、気にしないはずのない、柚明は、返答に困りながらも、桂に頷きをする。

「えぇ……私の為に、負ってしまった傷だもの……」

「あのね、柚明お姉ちゃん、私、お姉ちゃんを助けるためにつけた傷だから、もちろん、身体に残るのは嫌だけど……ちょっとだけ、嬉しいんだ……」

 そう言って、桂は柚明に対して、微笑を浮かべる。

「けど……お姉ちゃんは……気になるよね?」

「えぇ……」

「だからね、私にも……そのね、付けさせて欲しいんだ」

「えっ?」

 返答する前に、漏れた声。桂の、自身に対して傷を付ける意図が無いというのは分かりながらも、言葉の意図が理解しかねる。

 そう言ううちに、桂は、柚明の目の前まで近づき、肩から、手を回す。

「桂、ちゃん?」

 桂のたおやかな腕で、柚明の柔らかな肩を抱き、桂は、唇を、柚明の白いうなじにゆっくりと近づける。

 それは丁度、経観塚で、柚明が、桂にそうしたように、しかし違うのは歯を立て、肌を破り、そこから出る赤い、紅い血を吸うのではなく、桂は潤んだ唇で、甘く、優しく柚明の肌を覆い被す。

「んっ……」

 柚明は、桂の突然の行動に、急な身体の密着に、そして首もとに優しく吸い付く唇の柔らかさに、声が漏れる。

 後ろに回された手。互いに押しつぶされる、慎ましやかな乳房。肌同士の触れ合いは、否応無しに、心臓の鼓動を早め、血の巡りを良くする。

 うなじへの口吻から、ほんの数秒経ったろうか、突如、桂は強く吸い付く。

「あっ……桂……ちゃん……」

 想わず柚明の喉から漏れ出る嬌声と吐息。周りに人が居ないというのは先刻承知してはいても、つい目で確認してしまう。

 見回しても誰も居らず。居るのは、目の前に、身体を密着させる愛しき従妹の姿のみ。

 次第に桂の吸い付く力は弱められ、最後に、肌をはむように両の唇で挟んで、ちゅ、と音を立てて、離れようとする。

 柚明は離れようとする、桂を優しく抱き返す。うなじには、咲くには少しばかり早い、櫻の花びらが一枚残っていた。